2018年来日決定、ポール・マッカートニー、入国拒否やドタキャンの過去

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来る10月31日(ハロウィン!)、11月1日、11月8日と

ポール・マッカートニーがやってくる。

昨年の4月以来1年半ぶりだ。

しかも今回は9月に発表の最新アルバム「エジプト・ステーション」を引っさげての登場。

9月17日に行われるカナダ公演を皮切りにスタートする「フレッシュン・アップツアー」と題したワールドツアーの一環である。
そんなポールだが、1966年にビートルズの一員として初来日して以来52年、ビートルズの解散後はソロとして7度目の訪日となる。この記事ではそんな彼がどのように来日を重ねていったかを紹介していきたい。

 

初来日は阿鼻叫喚の中!ホテルに缶詰でも外出しちゃったお茶目なポール

初来日はビートルズの一員として。52年前の1966年6月である。

日本武道館が会場となったこともあり公演実施の前には

当時の知識人たちの差別的とも言える発言や街宣車などの反対があった。

またエレキ禁止令やビートルズ禁止令を出す学校があったりと世間を賛否両論、大騒ぎさせた。

そこら辺は先の朝の連ドラ、「ひよっこ」でも描写されていたところである。

ともあれコンサート自体は無事に開かれた。時間にして30分少々。

客席では観客の叫び声が聞こえるだけだった。

前座にドリフターズが出ていたことは後の語り草となったが

彼らの演奏時間たるやたったの1分であった。

 

ビートルズ公演後会場となった日本武道館は「日本音楽界の聖地」と呼ばれる用になる。

また多くの外国ミュージシャンによるライブ名演を生むことにもなる。

さてビートルズのメンバーだが滞日中、

ライブ活動以外はホテルに缶詰だったのだ。

そんな中、当時若大将で大人気だった加山雄三が

彼らを表敬訪問して素のメンバーに触れていた。

そんな中ポールだけはヒョイと外出していたそうで、

その時街のおもちゃ屋で買った拳銃のおもちゃから

当時の最新アルバムのタイトルをリボルバーと名付けたのである。

 

当時の様子をまとめた本はこちら。

公演映像はVHSテープかレーザーディスクしかない。

これは当時放映された日本テレビの映像である。

その後なかなか来日できなかったポール(泣)

ポールはビートルズ解散後70年代は

ウイングスとして精力的に活動していた。

とりわけライブパフォーマンスはとてもパワフルで

元ビートルズなんて言葉なんていらなかったくらいであった。

しかしウイングスとして彼の日本公演が実現することはなかったのである。

初の日本公演は1975年に予定されていたのだが、

法務省がマッカートニー夫妻の

72年のスウェーデンなどでの薬物所持歴を理由に、

来日公演直前にビザを無効とし中止となってしまった。

当時は「ヴィーナス・アンド・マース」を発表した直後で

メンバーも最盛期のメンバーであった。

当時の最強メンバーによるライブ映像はこちらが良いだろう。

「ヴィーナス・アンド・マース」のあとのアルバム

「スピード・オブ・サウンド」を出した頃の全米ツアーの模様である。

(ちなみにこの映像は当初は1981年に映画として公開されたものである。

ちなみにわたしも当時は映画館で観たのだが、

もはやポールは日本に来ることは不可能となり、

ジョンも殺されてとビートルズに関しては絶望感に陥っていたこともあり、

この映像を観た時はもう大感激であった)

 

話を戻そう。そして5年。

時は1980年1月。今度こそ来日実現!

という時にあの一件である。

前回、薬物所持の過去を理由に入国拒否されたの

にも関わらずポールは大麻を持ち込んで検挙されてしまう。

(誰かがポールに日本は大麻OKと吹き込んだらしいのだが真相は不明)

当然日本でのツアーは中止された。また幻と消えてしまった。

ポールはしばらく拘置所に勾留された後強制送還となった。

 

…そして年の瀬の12月にジョン・レノン暗殺!

なんて年だ!1980年!

 

ポールは入国管理局のブラック・リストに掲載され、

日本への入国は未来永劫不可能になったのである。

 

1990年 とうとうポールの日本公演が実現!でもただではすまなかった

しかしポールはビートルズ・シネ・クラブの尽力(ポールの入国許可を求める署名活動)

により法務省から日本入国の特別許可を下される。

まぁポールの世界的な文化貢献も踏まえたということもあったのだけど、

ともあれあの悪夢から10年、ビートルズの来日公演から数えると

約24年ぶりとなる日本公演が行われたのである。

しかしこのツアーもただではすまなかった。

この公演は当初、

3月2日、3日、5日、6日、8日、9日、11日の

計7公演の予定でチケットも販売されていたのだが(実はわたしも買っていた)

公演直前に「日程を1日置き」、7公演より6公演に変更した。

(ここら辺は後の2014年のツアー中止を暗示している

ような気がするのはわたしだけか)

日程振替及び払い戻しが行われたわけである。

(おかげでわたしは結局行けなかった(´;ω;`)

とはいえ、ソロとしての初来日はとても好評であった。

その雰囲気はこちらの音源と映像で味わうことができる。

 

ベーシスト、ポール、グッドパフォーマンス

それから3年後1993年11月に

ワールド・ツアー「THE NEW WORLD TOUR」の一環として来日し、

東京ドームで3公演、福岡ドームで2公演を行った。

この時のポールはとてもエネルギッシュで

特にビートルズ時代の「ペイパーバックライター」では

ドライブのかかった小気味の良いベースラインを披露していた。

名ベーシストとしてのポールの面目躍如といったところであった。

(このツアーでわたしはとうとうポールに邂逅!大感激)

このツアーの雰囲気は以下の音源と映像で味わうことができる。


 

そして21世紀 ポールはますます躍動する!

21世紀になり時は2002年11月、前回より9年ぶり。

「driving Japan Tour」と銘打ち東京ドーム3公演、大阪ドーム3公演を行った。

この公演は同年のポールのライブアクト復活ともいえる

アメリカでのコンサート・ツアーの続編ともいえるもの。

そして次の年の2003年、

ロシアのモスクワにある「赤の広場」におけるコンサート開催へと続く。

ロシアはそれまで(公式には)西洋や外国のロック音楽を受け入れておらず、

ポールはロシアで成功した史上初めてのロック・ミュージシャンとなったのだ!

そんなライヴ盤「バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002」はこちら。

音源、映像とも同じジャケットである。


 

2010年代 ポール 完全キャンセル含めて日本公演常連となる

前回から11年、2013年11月に来日。

「Out There! Japan Tour 2013」と銘打ち、

京セラドーム大阪で2公演、福岡ヤフオクドームで1公演、

東京ドームで3公演を行った。

新作アルバム「ニュー」を引っさげてのツアーである。

MCではたくさん日本語を使い、大阪弁、九州弁なども披露。

しかもアンコールでは「福島の被災者に捧げたい」

と語ってから「イエスタデイ」を歌ったのである。

このツアーの映像はこちら。

明けて2014年5月、「Out There! Japan Tour 2014」と銘打ち、

東京の国立競技場・日本武道館と大阪のヤンマースタジアム長居で開催予定だったが、

急病のため全公演が中止となった。

当初、5月17日に国立競技場では公演開催予定だったので、

ステージが設営され、グッズ販売も実施されるなど準備万端であった。

しかし開場直前、ポール本人の急病により急遽中止に。

(わたしもその場にいた。とりあえずTシャツを買って帰った)

当初は19日に振替公演を行うとのことであり、

17日のチケットはそのまま有効と発表された(希望者にはチケットの払い戻しも可能)。

そしてこの時点では、翌18日以降の公演は予定通り行うとのことだった。

しかし18日も前日と同じく開場直前になって中止、

17日の振替で開催予定であった19日の公演についても中止。

結局20日になって、招聘元のキョードー東京は

「日本武道館公演、ヤンマースタジアム長居公演を含めた全公演を中止する」と発表。

ポールの幻ツアー第3弾となってしまったのである。

明けて2015年4月、中止となった前年の“リベンジ公演”として

(正式には「Out There! Japan Tour 2015」)

大阪と東京で改めて日本公演を5回行った。

(ちなみにこの時もチケットを購入したが今度はわたしが急病となり行けなかった)

このツアーの映像はこちら。

そして2年後、2017年4月、

「ONE ON ONE JAPAN TOUR 2017」と銘打ち、

日本武道館で1公演、東京ドームで3公演を行ったのである。

まこと元気なサー・ポール・マッカートニーなのである。

 

なので秋のライブツアーを楽しみに待とうではありませんか。

予習しましょう。ニューアルバム。→エジプト・ステーション

 

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